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昭和(神丘教室)

破田野です。

 

前回のブログ、覚えていますか?
「なぜジンギスカンのたれの話をしたのか、理由は来週!」なんて、思わせぶりな終わり方をしてしまいましたが……今日はその伏線を、ラム肉よりも先にしっかり回収していきます。

 

まず、4月22日は「ジンギスカンのたれの日」。
由来は「4(よ)2(つ)2(つ)」で4つの材料説や、にんにく(22)説などいろいろありますが、今回そこは本質ではありません。

注目したいのは、カレンダーの並びです。

 

そのちょうど1週間後、4月29日は「ジンギスカンの日」。

 

偶然にしては出来すぎていませんか?

 

公式な説明ではありませんが、あえてストーリーとして見るとこうなります。
「主役の肉が登場するその前に、それを支える“たれ”はすでに準備されている」

しかも“たれ”は主役になりません。
前に出ることもなく、名前が大きく出るわけでもない。
それでも味の方向性を決めてしまう、かなり重要な存在です。

いわば、静かに全体を支配しているタイプです。

 

そして4月29日はもうひとつ、「昭和の日」でもあります。

 

昭和時代(1926〜1989)は、新幹線が走り、テレビが家庭の中心になり、社会の距離感が一気に縮まっていった時代です。

“遠いものが近くなる”ことそのものが、進歩として感じられていた時代でもありました。

黒電話、ブラウン管テレビ、商店街の活気。

今ではすべてが少し遠い記憶のように語られますが、それらは確かに日常の中心にありました。

 

そして平成へと移ると、空気は少しずつ変わります。
携帯電話が現れ、「家にかける」から「個人にかける」へ。
インターネットが広がり、情報は“待つもの”から“取りに行くもの”へと変わっていきました。

昭和が「距離を縮めた時代」だとすれば、平成は「距離の扱い方が変わった時代」と言えるのかもしれません。

近いのに、どこか個別になっていく感覚です。

 

 

そして令和。

今は、つながること自体は当たり前になりました。
しかしその分、「何を残すか」「何を選ばないか」がより重要になっているようにも感じます。

すべてが並列に存在できるからこそ、逆に“選ぶ力”が問われる時代です。

 

こうして並べてみると、昭和・平成・令和は、単なる時代の区切りというよりも、少しずつ性質の違う“流れ”のようにも見えてきます。

 

そしてその流れの中に、ひとつだけ共通しているものがあります。

 

それは、表には出てこないけれど全体を決めてしまう「裏側の存在」です。

たれのように目立たないけれど、味を決めるもの。
距離を縮めたり、つなげ方を変えたりしながら、時代そのものの印象を支えているもの。

 

昭和も、平成も、令和も、どこかでそうした“見えない要素”に支えられているのかもしれません。

 

 

そしてここで少しだけ個人的な話をすると、記憶はほとんどありませんが、ギリギリ昭和生まれです。

 

昭和をしっかり生きたというよりは、

・うっすらとした商店街の雰囲気(父母の実家近くの駅周辺にあった気が…)
・ブラウン管テレビの存在感(めちゃくちゃ重かった)
・緑の公衆電話ボックス(数年前まで実家近くにあったかもしれない)

 

こういった“断片”だけが残っている世代です。

 

つまり昭和に対して、「完全な当事者でもなく、完全な外側でもない」という微妙な位置にいます。

 

この距離感は、4月22日と29日の関係にも少し似ています。
近いのに役割は違う。でも確かにつながっている。

 

結局のところ、目立つものの裏には、必ずそれを成立させているものがあります。
そしてその“裏側”こそが、全体の印象を決めていることも少なくありません。

たれがあるから、肉が生きる。
見えない下地があるから、見えているものが成立する。

そんなことを少しだけ思わせる、4月の並びでした。

 

2026.04.29 | 神丘教室

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