ガチ勢(神丘教室)
破田野です。
皆さんは周囲から「そこまでやる?」と言われたことはありますか?
あるいは、自分でも「これ、一体何のためにやってるんだっけ……」と、ふと我に返りそうになったことはありませんか?
もし心当たりがあるなら、今日、5月20日は「ガチ勢の日」。ふさわしい日です。
「5(ご)×20(にじゅう)=100(本気度100%)」という、数学的に正しいのか哲学的に正しいのかよくわからない、非常にガチな語呂合わせから制定された記念日だそうです。
今日は、この「ガチ勢」という、愛すべき人種の生態について少し考えてみたいと思います。
「ガチ勢」という名の、自給自足の修羅たち
そもそも「ガチ勢」とは何でしょうか。
元々はゲームの世界で、プレイ時間が異常なレベルに達している人々を指す言葉でした。しかし今や、その勢力はあらゆる分野に拡大しています。
一つ目は「キャンプガチ勢」。不便を楽しむはずが、気づけば家より高いテントを張り、家より高性能なキッチンを野山に構築。最終的には「火を眺めるためだけに、仕事を休んで山へ行く」という本末転倒な境地へ。
二つ目は「掃除ガチ勢」。 大掃除でもないのに、サッシの溝を綿棒で磨き上げ、最終的には「ケルヒャーの噴射音こそが癒やし」と語り出す。
最後に「自炊ガチ勢」 美味しいチャーハンを作りたい一心で、家庭用のガスコンロの火力に絶望。気づけば中華鍋を振るためだけに腕の筋肉を鍛え始めている。
彼らに共通しているのは、「誰もそこまで求めていない」という点です。
誰も「命がけでチャーハンを振れ」とは言っていないし、「サッシで顔が映るまで磨け」とも頼んでいない。それなのに、彼らはやる。なぜなら、そこに「自分なりのこだわり」という壁があるからです。
一般人とガチ勢を分かつ境界線。それは「効率」をコスパという言葉と一緒にゴミ箱に捨てたかどうかです。
普通、人は「楽をして成果を得たい」と考えます。
しかし、ガチ勢は違います。彼らは「どれだけ手間をかけたか」に快感を覚えます。
例えば、SNSに投稿する1枚の料理写真を撮るために、皿の下に敷くクロスのシワをアイロンで伸ばし、光の角度を計算し、30分かけて盛り付けをミリ単位で調整する。その写真をアップして得られるリアクションがわずか数件だとしても、彼らにとってそんな計算は無意味です。
「昨日の自分より、0.01ミリだけ理想に近づいた」
その事実だけで、白米が3杯食える。もはや成果物そのものよりも、「こだわっている自分」というプロセスに陶酔している節すらあります。
しかしガチ勢は常に孤独です。
なぜなら、そのこだわりを説明すればするほど、周囲からは
「へー、すごいね(苦笑)」という、適度な距離を置いたリアクションが返ってくるからです。
「この靴のステッチの角度を見てくれ! 45度じゃなくて42度なんだ。この3度の差が、歩いた時の表情を……」
熱弁を振るえば振るうほど、相手の瞳からは光が消えていきます。
しかし、ガチ勢はそれでいいのです。むしろ、誰にも理解されない領域に足を踏み入れている自分に、密かな優越感すら抱いています。
「わからなくていい。この美しさは、俺(私)と、これを作った職人、あるいは神だけが知っていればいい」
この「自分だけの聖域」を持っていることこそが、現代社会という荒波を生き抜くための最強のメンタルケアになっているのかもしれません。
「そこまでやらなくていいよ」という言葉は、ガチ勢にとって最大の褒め言葉です。
それは、「あなたは常人の理解を超えた領域に達しましたね」という認定証に他ならないからです。
さて、5月20日。
「ガチ勢の日」にふさわしく、自分のこだわりを爆発させてみるのも悪くありません。
そして、明日、神丘中では今年度初の定期テストの中間テストですね。
今回から、今回も、初めての人も「本気度100%」をテストにぶつけてみましょう!
「ワークを3周した。なんなら問題文のクセまで覚えた」
「誰も気にしないような歴史の年号の語呂合わせを自作した」
「証明問題の余白の使い方が芸術的すぎる」
そんな、誰にも理解されないレベルの「無駄なこだわり」を発揮したとき、勉強はただの作業から「自分の作品作り」に変わります。
本気でやったあとの「やり切った感」は、ガチ勢にしか味わえない特権です。
今年度一発目のテスト、どうせやるなら「ガチ」でやってみましょう。
「ガチ」の世界へ。
そして、いい結果を掴み取れるよう頑張りましょう!
2026.05.20 | 神丘教室










